なぞに包まれた知勇兼備の武将
全国を武者修行して青年期をすごす。
板垣信方の推挙で武田信玄に仕える。
上田原の戦いで村上義清を破り武田家を勝利に導く。しかしこの時板垣は村上軍に討ち取られている。
築城や軍略にすぐれた勘助だったが、越後の龍とよばれる上杉謙信には、かなわなかった。
1601年の川中島の戦いで高坂弾正の別働隊をもちいて上杉軍を挟みうちするきつつき戦法を用いたが、謙信にこの策が見破られて本陣が危機状態になってしまった。
責任を感じた勘助は敵陣に突入して、越後の侍大将の鬼小島に首をとられる。この合戦で鬼小島も重症を追いこのあと死亡する。
勘助の首は部下たちが敵から取り戻して、小さな小川で首と胴をくっつけることができた。
この橋は胴会橋と呼ばれています。
またこの合戦で武田信玄の弟の武田信繁も討ち死にとう大損害をくらいました。
36歳の若さでなくなった羽柴秀吉の軍師。
日本の張良、諸葛亮ともよばれる名軍師である。
最初は美濃の斉藤家に仕えていたが、君主の龍興がどうしょうもないので、稲葉山城をのっとる。しかし、すぐ返還してしまう。
織田信長にその才を買われて仕官するようヘッドハンティングがきたが断る。
しかし、羽柴秀吉の三顧の礼で秀吉に仕官することとなり、軍師の竹中半兵衛の人生がスタートするのである。
秀吉にしたがい近江攻略戦で戦功をあげる。
姉川の合戦で浅井・朝倉連合軍を破り、横山城防衛戦では秀吉の弟の小一郎と浅井軍と一揆軍をわずかな兵でやぶるのである。
ついで小谷城攻略戦で浅井家を滅ぼし、長篠の戦いでは武田の騎馬軍団を鉄砲でやぶるのである。
しかし、中国ちほうの別所長治の守る三木城攻略の間に陣中で病死してしまうのである。
そして秀吉の天下獲りの野望の参謀は黒田官兵衛に引き継がれるのである。
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