容貌は信長、信忠、信雄とよく似ているが、性格はまったく逆である。
物事すべてに白黒をつけはっきりさせる信長の性格に対して有楽は、はっきりとせず灰色であり、腹の内をはっきりさせない性格であった。
武将としての戦功は信州の深志城を攻略したぐらいである。
これからというときに兄の信長は本能寺で急死してしまうのである。
このとき、有楽の近くにいたが、運よく明智光秀の包囲を突破している。
これから、茶人であり仲介役の有楽の人生が始まるのである。
まず秀吉に仕えて、小牧、長久手の戦いの仲介役を務めた。
次に関が原合戦後の豊臣と徳川の仲介を務めるのである。
このとき、秀頼と家康の会見を成功させている。
大阪冬の陣でも和議を成立させた。
どちらかといえば、豊臣方にいた有楽だが、豊臣方武将の真田信繁や後藤又兵衛らとは意見が合わなかった。
あわなかったというよりは、有楽の意見はすべてが、はっきりしなかったのである。
豊臣家滅亡後は茶人として生き75歳で没した。
有楽のようにはっきりしない性格が、戦国の世をわたりきれたので、なかなかの武将ですね。

