おもな戦歴として1576年の北伊勢攻めで活躍して、1582年には名門の武田勝頼の首級をあげています。
この功が生じて関東の守り役となりました。
厩橋城に入った一益のもとには、大勢力の北条氏だけでなく東北の伊達や蘆名までもが彼のもとに挨拶にきたほどの統率力をもっていたのである。
滝川はけっして勇猛果敢な武将だったわけではないようだ。
どちらかといえば計算高い武将だった。
越前の朝倉を滅ぼしたあと、所領安堵の事務的業務を明智光秀と羽柴秀吉といった頭脳的武将とひけととらない仕事ぶりでその業務をこなしたのである。
政務に長けた信長軍団のなかで貴重な逸材でもあった。

