前田利家とともに柴田勝家の与力となり数々の武功をあげました。
やがて富山城主になります。
この時に秀吉と家康の戦いの”小牧長久手の戦い”がおきます。
69歳の成政は家康に仕えるべく家康に会いに行きます。
この時にとった浜松城までのルートは日本アルプスの立山越えでした。
時の登山史上初の冬山越えでしょう。
しかし浜松についた頃にはもうすでに講和されていました。
秀吉の富山攻めで負け自害せずに、しかも命乞いをしました。
朝鮮の役で活躍し肥後一国を得ましたが、秀吉打倒のための軍資金確保のために大検地を行った結果大規模な農民一揆に合い、その責をとわれて、73才で切腹しました。この時秀吉の居城の大阪を眺めて腹を切りました。
名家あがりの成政にとって農民上がりの秀吉が出世するのが彼のプライドを傷つけたのでしょう。
300年後の帝国陸軍が行った八甲田山の雪中行軍は佐々成政の行った立山越えを故事としたもです。

