2007年06月26日

大局を見あまった浅井長政

浅井氏は長政の祖父の亮政の代に守護の京極家の内紛に乗じて勢力圏を獲得した一族である。このときから越前の朝倉家と親交をふかめていった。

父の久政が六角家との戦いに敗れると子の長政が家督をついだ。

やがて政略結婚で信長の妹のお市と結婚する。
夫婦なかがよく3女と1男がうまれた。

信長の援助もうけて勢力をふやしていった。

しかし、信長が同盟関係のある浅井家を攻撃するのである。

ここで長政が最大の失敗をおかしてしまうのである。
なんとあきらかに負けると分かってる浅井家についてしまうのである。

金ヶ崎城に布陣していた信長がこのことを知ったのは、なんと長政の妻でり妹のお市からの機転の利いた暗号であった。このとき上下に紐でくくられた小豆が送られた。

大局を誤った長政は妻にも裏切られたのである。

挟み撃ちという最大の危機を秀吉のしんがりによって、命からがら逃げ帰った、信長は姉川の合戦で浅井・朝倉連合軍をやぶり。

ついには、長政の居城の小谷城をせめるのである。

最後の突撃のあと、長政は重臣の赤尾清綱の家で自害をする。
まだ29歳であった。

長政の一人の娘は3代目の征夷大将軍の徳川家光である。
posted by しげる at 22:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 武将のその時 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする